題名: | 長沙過賈誼宅 |
作者: | 劉長卿 |
三年謫宦此棲遲,萬古惟留楚客悲。秋草獨尋人去後,寒林空見日斜時。漢文有道恩猶薄,湘水無情弔豈知。寂寂江山搖落處,憐君何事到天涯。 | |
英譯: | 暫無英譯內容 |
日譯: |
三年間(さんねんかん)賈誼(かぎ)は左遷(させん)されて、ここに気(き)ままな日(ひ)を過(す)ごしたと聞(き)くが、その大昔(おおむかし)から今(いま)まで、この楚(そ)の地方(ちほう)を旅(たび)する人々(ひとびと)のそのことを思(おも)う悲(かな)しみを、今(いま)もここに残(のこ)すばかりである。
その、賈誼(かぎ)なる人(ひと)がこの世(よ)を去(さ)った後(あと)、わたしは秋草(あきくさ)の中(なか)にその人(ひと)の跡(あと)を、一人(ひとり)でおとずてみたが、わびしい林(はやし)に、ただ夕日(ゆうひ)が斜(なな)めにさしているのを見(み)ただけであった。
漢(かん)の文帝(ぶんてい)は、徳(とく)の高(たかい)い天子(てんし)であったが、賈誼(かぎ)への恩情(おんじょう)は、まだなお薄(うす)く、湘水(しょうすい)は人(ひと)の心(こころ)を知(し)らぬながれであるから、賈誼(かぎ)が屈原(くつげん)を弔(とむら)う文(ぶん)を作(つく)ったことなど、どうして理解(りかい)しようか。
さびしく静(しず)かなこの川(かわ)や山(やま)は、木(こ)の葉(は)の舞(ま)い落(お)ちるところである。今思(いまおも)いやるのは、君(きみ)がいったい、どうしてこの天(てん)の果(は)てのような長沙(ちょうさ)の地(ち)にやって来(き)たのかということだ。
三年間賈誼は左遷されて、ここに気ままな日を過ごしたと聞くが、その大昔から今まで、この楚の地方を旅する人々のそのことを思う悲しみを、今もここに残すばかりである。 その、賈誼なる人がこの世を去った後、わたしは秋草の中にその人の跡を、一人でおとずてみたが、わびしい林に、ただ夕日が斜めにさしているのを見ただけであった。 漢の文帝は、徳の高い天子であったが、賈誼への恩情は、まだなお薄く、湘水は人の心を知らぬながれであるから、賈誼が屈原を弔う文を作ったことなど、どうして理解しようか。 さびしく静かなこの川や山は、木の葉の舞い落ちるところである。今思いやるのは、君がいったい、どうしてこの天の果てのような長沙の地にやって来たのかということだ。 三年謫宦(さんねんたくかん) 此(ここ)に棲遅(せいち)し 万古(ばんこ)惟(た)だ留(とど)む 楚客(そかく)の悲(かな)しみ 秋草(しゅうそう)独(ひと)り尋(たづ)ぬ 人去(ひとさ)りて後(のち) 寒林(かんりん)空(むな)しく見(み)る 日(ひ)斜(なな)めなる時(とき) 漢文道(かんぶんみち)有(あ)るも 思(おん)猶(な)お薄(うす)く 湘水(しょうすい)情無(じょう)なく 弔(とむら)うも豈(あ)に知(し)らんや 寂寂(せきせき)たる江山(こうざん) 揺落(ようらく)の処(ところ) 憐(あわ)れむ 君(きみ)何事(なにごと)ぞ 天涯(てんがい)に到(いた)るかと 三年謫宦 此に棲遅し 万古惟だ留む 楚客の悲しみ 秋草独り尋ぬ 人去りて後 寒林空しく見る 日斜めなる時 漢文道有るも 思猶お薄く 湘水情無なく 弔うも豈に知らんや 寂寂たる江山 揺落の処 憐れむ 君何事ぞ 天涯に到るかと 三年が間ここに流され わぴしく暮らした賈誼のことは 楚地に旅する人々を 今に至るまで悲しませる 人亡き跡を尋ねても 秋草のみ生い茂って 佗しい村に空しく入日がさしている 漢の文帝はえらい君ではあったが 賈誼に対する恩恵は薄かった 湘水は無情に流れて ここに屈原を弔うた彼の心も知らぬ 江山寂莫として木の葉散る この天涯の長沙の地に 何とて君は流されて来たのだろう 三年謫宦(たくかん) 此(ここ)に棲遅(せいち)し 万古(ばんこ) 惟(ただ)留(とど)む楚客(そかく)の悲しみ 秋草(しゅうそう) 独り尋(たず)ぬ人去(さ)るの後(のち) 寒林 空(むな)しく見る日(ひ)斜(なな)めなる時 漢文 道(みち)有るも思猶(なお)薄し 湘水(しょうすい) 情無なく弔(とむら)うも豈(あに)知らんや 寂寂(せきせき)たる江山(こうざん)揺落(ようらく)の処(ところ) 憐(あわ)れむ君 何事(なにごと)ぞ天涯(がい)に到る 三年謫宦 此に棲遅し 万古 惟留む楚客の悲しみ 秋草 独り尋ぬ人去るの後 寒林 空しく見る日斜めなる時 漢文 道有るも思猶薄し 湘水 情無なく弔うも豈知らんや 寂寂たる江山揺落の処 憐れむ君 何事ぞ天涯に到る |