題名: | 新年作 |
作者: | 劉長卿 |
鄉心新歲切,天畔獨潸然。老至居人下,春歸在客先。嶺猨同旦暮,江柳共風煙。已是長沙傅,從今又幾年。 | |
英譯: | 暫無英譯內容 |
日譯: |
望郷(ぼうきょう)の情(なさけ)は、新年(しんねん)を迎(むか)えて、いよいよ心(こころ)に迫(せま)り、故郷(こきょう)からはるかなこの辺地(へんち)に、ただ一人(ひとり)、涙(なみだ)を流(なが)している。年老(としお)いた身(み)となった今(いま)も、他人(なにん)の部下(ぶか)として低(ひく)い地位(ちい)に甘(あま)んじており、春(はる)はもう、この南方(なんぽう)から、北方(ほっぽう)に帰(かえ)って行(い)って、異郷(いきょう)の旅人(たびびと)であるわたしより先(さき)に故郷(こきょう)の地(ち)にあるはずである。
わたしは、今峰(いまみね)の猿(さる)と、毎日(まいにち)の生活(せいかつ)を共(とも)にし、川(かわ)の柳(やなぎ)とともに、風(かぜ)にただようもやのようなたよりない生(い)き方(がた)の中(なか)にいるのだ。そのわたしはすでに流(なが)されて長沙(ちょうさ)の太傳となった賈誼(かぎ )に似(に)た身(み)の上(うえ)である。
この流(なが)され人(ひと)としての境涯(きょうがい)は今(いま)から先(さき)、さらにまた、何年(なんねん)続(つづ)くのであろうか。
望郷の情は、新年を迎えて、いよいよ心に迫り、故郷からはるかなこの辺地に、ただ一人、涙を流している。年老いた身となった今も、他人の部下として低い地位に甘んじており、春はもう、この南方から、北方に帰って行って、異郷の旅人であるわたしより先に故郷の地にあるはずである。 わたしは、今峰の猿と、毎日の生活を共にし、川の柳とともに、風にただようもやのようなたよりない生き方の中にいるのだ。そのわたしはすでに流されて長沙の太傳となった賈誼に似た身の上である。 この流され人としての境涯は今から先、さらにまた、何年続くのであろうか。 鄉心(きょうしん)新歲切(しんさいせつ)に、天畔(てんばん)独(ひと)りに潸然(さんぜん)たり 老(お)い至(いた)りて 人(ひと)の下(した)に居(い)り、春帰(はるかえ)りて 客(かく)の先(さき)に在(あ)り 嶺猿(れいえん)旦暮(たんぼ)を同(おな)じくし、江柳(こうりゅう)風煙(ふうえん)を共(とも)にす 已(すで)に長沙(ちょうさ)の傅(ふ)に似(に)る、今(いま)より又(ま)た幾年(いくねん)ぞ 鄉心新歲切に、天畔独りに潸然たり 老い至りて 人の下に居り、春帰りて 客の先に在り 嶺猿旦暮を同じくし、江柳風煙を共にす 已に長沙の傅に似る、今より又た幾年ぞ 新しい年を迎えて 望郷の心はいよいよ切に 天の涯なるこの地にいて ひとり涙を流している 年老いて他人の下にあり 春は帰れどなお異郷にのこり あけくれに山の猿を伴とし 岸辺の柳とともに春霞にただよう 思えば昔 長沙の傅に流された 賈誼の嘆きはいまわが身 さらにいくとせを経たならば 再び故郷に帰れることか 鄉心(きょうしん) 新歲切(しんさいせつ)なり 天畔(てんばん) 独(ひと)りに潸然(さんぜん) 老(おい)至って人の下(した)に居(お)り 春(はる)帰って客(きゃく)の先(さき)に在(あ)り 嶺猿(れいえん) 旦暮(たんぼ)を同じゅうし 江柳(こうりゅう) 風煙(ふうえん)を共にす 已(すで)に長沙(ちょうさ)の傅(ふ)に似たり 今(いま)より又(また)幾年(いくねん)ぞ 鄉心 新歲切なり 天畔 独りに潸然 老至って人の下に居り 春帰って客の先に在り 嶺猿 旦暮を同じゅうし 江柳 風煙を共にす 已に長沙の傅に似たり 今より又幾年ぞ |