唐詩平行語料庫研究計畫


題名: 秋日登吳公臺上寺遠眺
作者: 劉長卿
古臺搖落後,秋日望鄉心。 野寺人來少,雲峯水隔深。 夕陽依舊壘,寒磬滿空林。 惆悵南朝事,長江獨至今。
英譯: 暫無英譯內容
日譯: 古(ふる)い吳公(くれのきみ)の台(だい)に、木(こ)の葉(は)が散(ち)り尽(つ)くした後(あと)、秋(あき)のもの悲(かな)しい気分(きぶん)が、わたしの望郷(ぼうきょう)の心(こころ)の中(なか)にしみこんでくる。 このひなびた寺(てら)を訪(おとず)れて来(く)る人(ひと)は稀(まれ)で、雲(くも)のかかる高(たか)い蜂(みね)は、長江(ちょうこう)の水(みず)を隔(へだ)てて奥深(おくぶか)く見(み)えている。折(おり)からの夕日(ゆうひ)は、昔(むかし)のとりでに寄(よ)りかかるように傾(かたむ)き、寺(てら)で鳴(な)らすさびしい打(う)ち石(いし)の音(おと)は、人(ひと)の気配(けはい)のない林(はやし)に響(ひび)きわたる。 南朝(なんちょう)の歴史上(れきしじょう)の出来事(できごと)を人為(じんい)のはかなさとして嘆(なげ)き悲(かな)しむわたしの眼(め)の前(まえ)を、長江(ちょうこう)だけが、昔(むかし)も今(いま)も変(か)わることなく流(なが)れ続(つづ)けている。
古い吳公の台に、木の葉が散り尽くした後、秋のもの悲しい気分が、わたしの望郷の心の中にしみこんでくる。 このひなびた寺を訪れて来る人は稀で、雲のかかる高い蜂は、長江の水を隔てて奥深く見えている。折からの夕日は、昔のとりでに寄りかかるように傾き、寺で鳴らすさびしい打ち石の音は、人の気配のない林に響きわたる。 南朝の歴史上の出来事を人為のはかなさとして嘆き悲しむわたしの眼の前を、長江だけが、昔も今も変わることなく流れ続けている。
古台(こだい)揺落(ようらく)の後(のち)、秋(あき)は望鄉(ぼうきょう)の心(こころ)に入(い)る 野寺(やじ) 来人(らいじん)少(まれ)に、雲峰(うんぽう)水(みず)を隔(へだ)てて深(ふか)し 夕陽(せきよう) 旧塁(きゅうるい)に依(よ)り、寒磬(かんけい)空林(くうりん)に満(み)つ 惆悵(ちゅうちょう)す 南朝(なんちょう)の事(こと)、長江(ちょうこう) 独(ひと)り今(いま)を自(もっ)てす
古台揺落の後、秋は望鄉の心に入る 野寺 来人少に、雲峰水を隔てて深し 夕陽 旧塁に依り、寒磬空林に満つ 惆悵す 南朝の事、長江 独り今を自てす
呉公台に木の葉散り果て 秋のけわいが望郷の心に泌む 野の寺はおとなう人も稀に 川を隔てた山々には雲深くかかる 夕日は古い塁にのこり 人気ない林中に馨の音が寒くひびく 南朝の昔は夢と消えて ただ長江の水ばかり今も変わらず流れている
古台(こだい)揺落(ようらく)の後(のち) 秋(あき) 望鄉の心(こころ)に入る 野寺(やじ) 来人(らいじん)少なく 雲峯(うんぽう) 水を隔(へだ)てて深し 夕陽(せきよう) 旧塁(きゅうるい)に依(よ)り 寒磬(かんけい) 空林(くうりん)に満つ 惆悵(ちゅうちょう)す 南朝の事(こと) 長江(ちょうこう)独(ひと)り今(いま)を至る
古台揺落の後 秋 望鄉の心に入る 野寺 来人少なく 雲峯 水を隔てて深し 夕陽 旧塁に依り 寒磬 空林に満つ 惆悵す 南朝の事 長江独り今を至る

國立高雄科技大學應用英語系、高瞻科技不分系/國立彰化師範大學英語系