題名: | 臨洞庭上張丞相 |
作者: | 孟浩然 |
八月湖水平,涵虛混太清。 氣蒸雲夢澤,波撼岳陽城。 欲濟無舟楫,端居恥聖明。 坐觀垂釣者,徒有羨魚情。 | |
英譯: | 暫無英譯內容 |
日譯: |
八月(はちがつ) 湖水(こすい)平(たひ)らかに、虚(きょ)を涵(ひた)して 太清(たいせい)に混(こん)ず
気(き)を蒸(む)す 雲夢(うんぼう)の沢(たく)、波(なみ)は撼(うご)かす 岳陽城(がくようじょう)
済(わた)らんと欲(ほっ)するに 舟楫(しゅうしゅう)無(な)し、端居(たんきょ)して 聖明(せいめい)に恥(は)づ
坐(そぞ)ろに釣(ちょう)を垂(た)るる者(もの)を観(み)ては徒(いたづ)らに魚(うを)を羨(うらや)む情(じょう)有(あ)り
陰暦(いんれき)、中秋(ちゅうしゅう)の八月(はちがつ)、洞庭湖(どうていこ)の水(みず)は見渡(みわた)す限(かぎ)り平(たい)らかで、大空(おおぞら)を水(みず)にひたし、水(みず)は空(そら)とひとつになって見(め)えている。遥(はる)かに雲夢(うんむ)の沢(たく)あたりには、水蒸気(すいじょうき)が立(た)ちこめて、湖水(こすい)の波(なみ)は、岳陽(がくよう)の町(まち)をゆり動(うご)かしているかと思(おも)われる。 湖水(こすい)を渡(わた)ろうとしても、今(いま)は舟(ふね)がない。何(なに)もしないで座(すわ)ってばかりいて、天子(てんし)の聖明(しょうめい)の徳(とく)に対(たい)し、恥(は)じ入(い)るばかりである。釣(つ)り糸(いと)を垂(た)れている人(ひと)を何(なに)とはなしにみて、ただ、空(むな)しい望(のぞ)みではあるが魚(さかな)が欲(ほし)しいと釣(つ)り人を羨(うらや)む気持(きも)ちすなわち、仕官(しかん)すべく行動(こうどう)したい気持(きも)ちがわいてくる。 陰暦、中秋の八月、洞庭湖の水は見渡す限り平らかで、大空を水にひたし、水は空とひとつになって見えている。遥かに雲夢の沢あたりには、水蒸気が立ちこめて、湖水の波は、岳陽の町をゆり動かしているかと思われる。 湖水を渡ろうとしても、今は舟がない。何もしないで座ってばかりいて、天子の聖明の徳に対し、恥じ入るばかりである。釣り糸を垂れている人を何とはなしにみて、ただ、空しい望みではあるが魚が欲しいと釣り人を羨む気持ちすなわち、仕官すべく行動したい気持ちがわいてくる。 八月(はちがつ)湖水(こすい)平(たひ)らかに、虚(きょ)を涵(ひた)して 太清(たいせい)に混(こん)ず 気(き)を蒸(む)す 雲夢(うんぼう)の沢(たく)、波(なみ)は撼(うご)かす 岳陽城(がくようじょう) 済(わた)らんと欲(ほつ)するに 舟楫(しゅうしゅう)無(な)し、端居(たんきょ)して 聖明(せいめい)に恥(は)づ 坐(そぞ)ろに釣(ちょう)を垂(た)るる者(もの)を観(み)ては徒(いたづ)らに魚(うお)を羨(うらや)む情(じょう)有(あ)り 八月湖水平らかに、虚を涵して 太清に混ず 気を蒸す 雲夢の沢、波は撼かす 岳陽城 済らんと欲するに 舟楫無し、端居して 聖明に恥づ 坐ろに釣を垂るる者を観ては徒らに魚を羨む情有り 秋八月湖水はまんまんとたたえて岸と平らかに 大空をひたして末は天と見分けがつかぬ 気は蒸しのぼる雲夢の沢 波はゆるがす岳陽の城 渡ろうとしても舟はなく 無為に暮らしているだけで この聖明の世に恥ずかしい 手を拱いて釣りする人を見ていると 私にも魚を羨む心が起こるのです 八月 湖水平(たい)らかに 虚(きょ)を涵(ひた)して太清(たいせい)に混(こん)ず 気を蒸す 雲夢(うんぼう)沢(たく) 波は撼(うご)かす 岳陽城(がくようじょう) 済(わた)らんと欲(ほつ)して舟楫(しゅうしゅう)無し 端居(たんきょ)して聖明(せいめい)に恥(は)ず 坐(ざ)して釣(ちょう)を垂(た)るる者を観(み)て 徒(いたずら)に魚(うお)を羨(うらや)む情有り 八月 湖水平らかに 虚を涵して太清に混ず 気を蒸す 雲夢沢 波は撼かす 岳陽城 済らんと欲して舟楫無し 端居して聖明に恥ず 坐して釣を垂るる者を観て 徒に魚を羨む情有り 八月(はちぐわつ) 湖水平(こすゐたひらか)なり。 虚(きょ)を涵(ひた)して太清(たいせい)に混(こん)ず。 氣(き)は蒸(む)す 雲夢澤(うんぼうたく)。 波(なみ)は撼(うご)かす 岳陽城(がくやうじゃう)。 濟(わた)らんと欲(ほっ)するに舟楫無(しうしふな)し。 端居(たんきょ) 聖明(せいめい)に恥(は)づ。 坐(そぞろ)に釣(つり)を埀(たる)る者(もの)を觀(み)て、 徒(いたづ)らに魚(うを)を羨(うらや)むの情(じゃう)あり。 八月 湖水平なり。 虚を涵して太清に混ず。 氣は蒸す 雲夢澤。 波は撼かす 岳陽城。 濟らんと欲するに舟楫無し。 端居 聖明に恥づ。 坐に釣を埀る者を觀て、 徒らに魚を羨むの情あり。 八月、洞庭湖は增水期にあたり、滿々とたたえて大地と平らになっている。大空をひたし、天上もいっしょになったように見える。霧や蒸気が雲夢の沼澤地を立ちこめ、 ゆちゆらと動く潮水は、そこに浮かんだように見える岳陽の町をもゆりうごかしているかのようだ。ここをわたろうといっても、よほどしっかりした舟がなければ無理だが、それがない。だが、無為にくらしているだけでは、この聖天子の世に處して恥ずかしい次第だ。なんとか自分も太平の世の治政に貢獻したい氣持ちはある。いま湖畔で釣を垂れている人を見物しながら、何もしないでただ魚がほしいと思っているだけで、いやはやこっけいな話である。自分は無精者で、網をあんで本格的に魚をとる用意を するほどの氣もないが、しかしまんざら仕宮の望みをもっていないわけでもない。 秋八月、湖は水をたたえて果てしなく広がり、大空をひたして空と水が一つに溶け合っている。 水蒸気が雲夢の沢に立ちこめ、波が岳陽の城壁をゆるがしている。 この湖水を渡ろうにも、私を引き立ててくれる人はいない。この聖明の御世に、無為に日を送っているおのれの身を恥じるばかりだ。 ぽんやりと釣糸を垂れている人を眺めるにつけ、しかるべき地位につきたいという思いが湧いてくる。 八月(はちがつ) 湖水(こすい)平(たひ)らかに、 虚(きょ)を涵(ひた)して太清(たいせい)に混(こん)ず。 気(き)を蒸(む)す 雲夢(うんぼう)の沢(たく)、 波(なみ)は撼(ゆる)がす 岳陽城(がくようじょう)。 済(わた)らんと欲(ほっ)するも舟楫(しゅうしゅう)無(な)く、 端居(たんきょ)して聖明(せいめい)に恥(は)ず。 坐(そぞ)ろに釣(つ)を垂(た)るる者(もの)を観(み)て、 徒(いたず)らに魚(うお)を羨(うらや)む情(じょう)有(あ)り。 八月 湖水平らかに、 虚を涵して太清に混ず。 気を蒸す 雲夢の沢、 波は撼がす 岳陽城。 済らんと欲するも舟楫無く、 端居して聖明に恥ず。 坐ろに釣を垂るる者を観て、 徒らに魚を羨む情有り。 |