唐詩平行語料庫研究計畫


題名: 經鄒魯祭孔子而嘆之
作者: 李隆基
夫子何爲者,棲棲一代中。 地猶鄹氏邑,宅即魯王宮。 嘆鳳嗟身否,傷麟怨道窮。 今看兩楹奠,當與夢時同。
英譯: 暫無英譯內容
日譯: 夫子(ふうし) 何為(なんす)る者(もの)ぞ、栖栖(せいせい)たり 一代(いちたい)の中(うち) 地(ち)は猶(な)ほ鄹氏(すうし)の邑(ゆう)、宅(たく)は即(すなは)ち魯王(ろおう)の宮(きゅう) 鳳(ほう)を嘆(なげ)きては身(み)の否(ひ)なるを嗟(なげ)き、麟(りん)を傷(いた)みては道(みち)の窮(きゅう)するを怨(うら)む 今(いま) 両楹(りょうえい)の奠(てん)を看(み)るに、当(まさ)に夢(ゆめ)みし時(とき)と同(おな)じかるべし
夫子 何為る者ぞ、栖栖たり 一代の中 地は猶ほ鄹氏の邑、宅は即ち魯王の宮 鳳を嘆きては身の否なるを嗟き、麟を傷みては道の窮するを怨む 今 両楹の奠を看るに、当に夢みし時と同じかるべし
孔子とは、いかなる人か。世のために奔走したいそがしい生涯であった。その生まれた土地は、今もなお鄹氏の村として残り、その旧宅は、そのまま、魯王の宮殿となった。太平の世に出現するという鳳風が現れないことを嘆いては、孔子自身の不運を悲しみ、同じく太平の世に現れるという麒麟が時ならぬ乱世に出現したことを悲しんでは、わが求める道の行われないことをうらめしく思ったのだ。現在わたしは聖廟の二本の柱の間に、神酒を供える祭りのさまを見て、これこそ孔子が夢に見たと伝えられる時のありさまと同じであろうと思うのだ。
孔子(こうし)とは、いかなる人(ひと)か。世(よ)のために奔走(ほんそう)したいそがしい生涯(しょうがい)であった。その生まれた土地(とち)は、今(いま)もなお鄹氏(すうし)の村(むら)として残(のこ)り、その旧宅(きゅうたく)は、そのまま、魯王(ろおう)の宮殿(きゅうでん)となった。太平(たいへい)の世(よ)に出現(しゅつげん)するという鳳風(ほうおう)が現(あらわ)れないことを嘆(なげ)いては、孔子(こうし)自身(じしん)の不運(ふうん)を悲(かな)しみ、同(おな)じく太平(たいへい)の世(よ)に現(あらわ)れるという麒麟(きりん)が時(とき)ならぬ乱世(らんせい)に出現(しゅつげん)したことを悲(かな)しんでは、わが求(もと)める道(みち)の行(おこな)われないことをうらめしく思(おも)ったのだ。現在(げんざい)わたしは聖廟(しんびょう)の二本(にほん)の柱(はしら)の間(あいだ)に、神酒(しんしゅ)を供(そな)える祭(まつ)りのさまを見(み)て、これこそ孔子(こうし)が夢(ゆめ)に見(み)たと伝(つた)えられる時(とき)のありさまと同(おな)じであろうと思(おも)うのだ。

國立高雄科技大學應用英語系、高瞻科技不分系/國立彰化師範大學英語系