題名: | 感遇十二首 其二 |
作者: | 張九齡 |
江南有丹橘,經冬猶綠林。 豈伊地氣暖,自有歲寒心。 可以薦嘉客,奈何阻重深。 運命唯所遇,循環不可尋。 徒言樹桃李,此木豈無陰。 | |
英譯: | 暫無英譯內容 |
日譯: |
江南(こうなん)に 丹橋(たんきつ)有(あ)り、冬(ふゆ)を経(へ)て 猶(な)ほ緑林(りょくりん)なり
豈(あ)に伊(こ)れ地気(ちき)の暖(あたた)かなるのみならんや、自(みずか)ら歲寒(さいかん)の心(こころ)有(あ)ればなり
以(もっ)て嘉客(かかく)に薦(すす)むべきに、奈何(いかん)ぞ 重深(ちゅうしん)に阻(はば)まるや
運命(うんめい)は唯(た)だ遇(あ)ふ所(ところ)のみ、循環(じゅんかん)は尋(たず)ぬべからず
徒(いたず)らに言(い)ふ 桃李(とうり)を樹(う)うと、此(こ)の木(き) 豈(あ)に陰(かげ)無(な)からんや
江南に 丹橋有り、冬を経て 猶ほ緑林なり 豈に伊れ地気の暖かなるのみならんや、自ら歲寒の心有ればなり 以て嘉客に薦むべきに、奈何ぞ 重深に阻まるや 運命は唯だ遇ふ所のみ、循環は尋ぬべからず 徒らに言ふ 桃李を樹うと、此の木 豈に陰無からんや 江南の地に赤いたちばなの木があって、厳しいひと冬を過ごしても、なお、みどりの林のままである。 どうしてそれはその土地の気候の暖かさのためだけであろうか。そればかりではなくて、その木自身が木本来のものとして備えている厳冬の寒さにくじけない堅固な心があるからなのだ。 それを心の通い合う賓客に進上しようにも、奥深い茂みにもたとうべき小人どもにはばまれてしまうとは、どうしたことであろうか。わたしの運命は、ただ予期せぬ出あいにまかせるばかりで、吉凶禍福のめぐりあわせは、計り知ることはできない。 世の人々はただ桃や李ぱかりを植えようと言うが、この丹橘の木にも、どしてみどりの木かげがないことがあろうか。桃李に劣らず有用な木なのである。 江南(こうなん)の地(ち)に赤(あか)いたちばなの木(き)があって、厳(きび)しいひと冬(ふゆ)を過(す)ごしても、なお、みどりの林(はやし)のままである。 どうしてそれはその土地(とち)の気候(きこう)の暖(あたた)かさのためだけであろうか。そればかりではなくて、その木(き)自身(じしん)が木(き)本来(ほんらい)のものとして備(そなえ)えている厳冬(げんとう)の寒(さむ)さにくじけない堅固(けんご)な心(こころ)があるからなのだ。 それを心(こころ)の通(かよ)い合(あ)う賓客(ひんか)に進上(しんじょう)しようにも、奥深(おくぶか)い茂(しげ)みにもたとうべき小人(しょうじん)どもにはばまれてしまうとは、どうしたことであろうか。わたしの運命(うんめい)は、ただ予期(よき)せぬ出(で)あいにまかせるばかりで、吉凶禍福(きっきょうかふく)のめぐりあわせは、計(はか)り知(し)ることはできない。 世(よ)の人々(ひとびと)はただ桃(とう)や李(り)ぱかりを植(う)えようと言(い)うが、この丹橘(たんきつ)の木(き)にも、どしてみどりの木(き)かげがないことがあろうか。桃李(とうり)に劣(おと)らず有用(ゆうよう)な木(き)なのである。 |