唐詩平行語料庫研究計畫


題名: 洪州客舍寄柳博士芳
作者: 薛業
去年燕巢主人屋,今年花發路傍枝。年年爲客不到舍,舊國存亡那得知。
英譯: 暫無英譯內容
日譯: 去年(きょねん) 燕(つばめ)は巣(すぐ)ふ主人(しゅじん)の屋(をく)。 今年(こんねん) 花(はな)は發(ひら)く路傍(ろばう)の枝(えだ)。 年年(ねんねん) 客(かく)と爲(な)って舍(いへ)に到(いた)らず。 舊國(きうこう)の存亡那(そんばうなん)ぞ知(し)ることを得(え)ん。 胡塵(こぢん) 一(ひと)たび起(おこ)りて天下(てんか)を亂(みだ)し、 何(いづ)れの處(ところ)の春風(しゅんぶう)か別離無(へつりな)からん。
去年 燕は巣ふ主人の屋。 今年 花は發く路傍の枝。 年年 客と爲って舍に到らず。 舊國の存亡那ぞ知ることを得ん。 胡塵 一たび起りて天下を亂し、 何れの處の春風か別離無からん。
去年、最安に滞在していたときは、つばめが御主人の家の軒端に巢をしかけるのを眺めた。今年は、この邊鄙視な洪州へ流れてきて、路ばたに花が咲くのを眺めることに なった。わたしは年々、旅から旅へと放浪して歩いて自分の家へ帰るということはない。故郷の人々が生きているか死んでいるのか、そんなことはいっさいわかる筈がない。思えば、胡人の安祿山が逆心を起こして范陽の兵をひきい、洛陽や長安を攻めにかかってからというものは、天下は大亂になってしまった。この春風の吹きそめるところになっても、どこに行ってみても一家離散のうき目に遇ったという話ばかり。自分 ひとり不運をなげいてみてもはじまらないのだ。

國立高雄科技大學應用英語系、高瞻科技不分系/國立彰化師範大學英語系