題名: | 和韋舍人早朝 |
作者: | 沈佺期 |
閶闔連雲起,巖廊拂霧開。玉珂龍影度,珠履雁行來。長樂宵鐘盡,明光曉奏催。一經推舊德,五字擢英才。儼若神仙去,紛從霄漢廻。千春奉休曆,分禁喜趨陪。 | |
英譯: | 暫無英譯內容 |
日譯: |
皇居の御門はまるで雲につらなっているようにそびえ、いかめしくつづく廊は朝霧をはらって明けわたる。そこへ玉のかざりをつけた駿馬にまたがった高官が走せあつまり、眞珠のかざりのついた靴をはいた高官が威儀をただして行列をつくって参内する。宮中の夜の時刻をつげていた鐘の音もすでにたえて、天子の出御されて大政をみそなわされる明光殿(漢代の宮殿の名をかりたので、唐では大明宮の含元殿)」では、すでに政務を報告し親裁をあおぐ上奏がはじまっている。 $韋舎人もそれぞれ所管事項を具して伺候されることである。鳳閣舎人という御職掌もりっぱなものだが、御一族がみなそろって榮職につかれることはしたわしい話で、 御父上の韋思謙殿も宰相の御位につかれたことであるし、舍人は御兄弟がもろともに榮進の一途をたどっておいでになる。これも御家庭の教訓のしからしめるところであおろ。舎人と同姓の韋賢という人は漢の登帝のときの宰相だが、その學問をつたえてその子の玄成という人も宰相になったので、時の人が「子どもに黄金をいっぱい遺産にしてやるよりは、たった一冊の經書をのこしてやったことのほうがよい」といって韋賢父子をほめたそうだが、舍人の御家庭も、まったくそれに似ている。また魏の尚書郎であった鍾會ば同僚の書いた上奏文がうまくいかないので困っているのを見て、$ たった五字を改めさせたところ、それがわかって「大いに用いるべき王佐の才」と司馬景王から稱揚されたという話がある。あなたが鳳閣舎人の地位につかれたのも、まったくそういう英才を認められたのによるといわねばならぬ。舍人のそのときの堂堂たる風采を想像すると、さながら神仙ともいいたいほどの高い氣品をそれ それがひらひらと天上から舞いおりてこられたような姿である。千年も萬年も、この太平のありがたい御世にお仕えして、つとめる役所はちがうけれども、もろともに皇上のおそば近くに伺候することができるのは、まことに喜ばしいかぎりではないか。
間闔(しゃうかふ) 雲(くも)に連(つらな)って起(おこ)り、巖廊(がんらう) 霧(きり)を拂(はら)って開(ひら)く。玉珂(ぎょくか) 龍影(りょうえい)度(わた)り、珠履(しゅり) 雁行(がんかう)來(きた)る。長樂(ちゃうらく) 宵鐘(せうしょう)盡(つ)き、明光(めいくわう) 曉奏(げうそう)催(もよほ)す。一經(いつけい) 舊德(きうとく)を傳(つた)へ、五字(ごじ) 英材(えいさい)を擢(ぬき)んず。儼(げん)として神仙(しんせん)の去(さ)りて 紛(ふん)として霄漢(せうかん)より回(かへ)るが若(ごと)し。千春(せんしゅん) 休暦(きうれき)を奉(ほう)じ、分禁(ぶんきん) 趨陪(すうばい)を喜(よろこ)ぶ。 間闔 雲に連って起り、巖廊 霧を拂って開く。玉珂 龍影度り、珠履雁行來る。長樂 宵鐘盡き、明光 曉奏催す。一經 舊德を傳へ、五字英材を擢んず。儼として神仙の去りて 紛として霄漢より回るが若し。千春 休暦を奉じ、分禁 趨陪を喜ぶ。 |