題名: | 滕王閣 |
作者: | 王勃 |
滕王高閣臨江渚,珮玉鳴鸞罷歌舞。畫棟朝飛南浦雲,珠簾暮捲西山雨。閒雲潭影日悠悠,物換星移幾度秋。閣中帝子今何在,檻外長江空自流。 | |
英譯: |
Near these islands a palace was built by a prince,
But its music and song have departed long since;
The hill-mists of morning sweep down on the halls,
At night the red curtains lie furled on the walls.
The clouds o'er the water their shadows still cast,
Things change like the stars: how few autumns have passed
And yet where is that prince? $(Where is he? — No reply)$,
Save the plash of the stream rolling ceaselessly by.
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日譯: |
滕王の高閣は、今もこの江$贛江$の水べに臨んでそそりたつ。かつてここに集った高貴な人々の、腰に下げた佩玉の触れあう音も、訪れる馬車の高らかな鈴音も、もはや聞こえず、にぎやかな歌や踊りも、すっかりとだえてしまった。美しく彩られた棟木のあたりには、南浦から湧きでる雲が朝日に染まりながら飛びかい、美しい珠簾は夕暮れどき、西山から迫りくる風や雨に吹かれて巻きあがる。
無心にただよう雲、深い譚の碧い色は、昔と変わることなく、日々のどかな姿を見せている。しかし人の世の万物は移ろい、歳月は速やかに流れて、滕王閣の落成以後、幾年すぎたことであろうか。手すりの前を流れる大江$贛江$だけは、滕王のおられた当時そのままに、滔々と流れゆく。
滕王(とうおう)の高閣(こうかく) 江渚(こうしょ)に臨(のぞ)み 佩玉(はいぎょく) 鳴鸞(めいらん) 歌舞(かぶ)罷(や)みたり 画棟(がとう) 朝(あした)に飛(と)ぶ 南浦(なんぼ)の雲(くも) 珠簾(しゅれん) 暮(ひぐれ)に捲(ま)く 西山(せいざん)の雨(あめ) 閑雲(かんうん)潭影(たんえい) 日(ひ)に悠悠(ゆうゆう) 物換(ものかわ)り星移(ほしうつ)りて 幾秋(いくしゅう)をか度(す)ぐる 閣中(かくちゅう)の帝子(ていし) 今(いま) 何(いずく)にか在(あ)る 檻外(かんがい)の長江(ちょうこう) 空(むな)しく自(おのずか)ら流(なが)る 滕王の高閣 江渚に臨み 佩玉 鳴鸞 歌舞罷みたり 画棟 朝に飛ぶ 南浦の雲 珠簾 暮に捲く 西山の雨 閑雲潭影 日に悠悠 物換り星移りて 幾秋をか度ぐる 閣中の帝子 今 何にか在る 檻外の長江 空しく自ら流る 滕王の建てた高閣は、巍然とそびえて漳江のなぎさに面している。しかし、そのころ、佩玉を帶びた貴人の群れや、鸞の鈴を鳴らして往來した車馬のすがたはなく、歌姬がうたい、踊り子が舞いおどった榮華の夢は跡方もない。朝ともなれば、美しく色どった棟に、南の入江から湧きたった雲が飛びかよい、夕ともなれば、朱塗りの簾をまきあげて、ただ西の山にけぶる雨を眺めるだけのこと。 しずかに浮かぶ雲、潭にたたえた水の色、毎日毎日はてしなく、のんびりしている。しかし萬物はかわってゆき歳月は流れ、あれから、もう何年たったことだろう。この閣の主人であった帝の御子は、今はどこにおいでになっているか。闌杆のかなたに見える大川だけは、あいかわらずいっさいに無關心にむなしく滔々と流れている。 = 滕王(とうわう) 高閣(かうかく) 江渚(かうしょ)に臨(のぞ)めり。 佩王(はいぎょく)鳴鸞(めいらん) 歌舞(かぶ)罷(や)む。 畫棟(ぐわとう) 朝(あした)に飛(と)ぶ南浦(なんぼ)の雲(くも)。 朱簾(しゅれん) 暮(くれ)に捲(ま)く西山(せいざん)の雨(あめ)。 閒雲(かんうん) 潭影(たんえい) 日(ひ)に悠悠(いういう)。 物換(ものかは)り星移(ほしうつ)る、幾度(いくたび)の秋(あき)ぞ。 閣中(かくちゅう)の帝子(ていし) 今(いま) 何(いづ)くにか在(あ)る。 檻外(かんぐわい)の長江(ちゃうかう) 空(むな)しく自(おのづか)ら流(なが)る。 滕王 高閣 江渚に臨めり。 佩王鳴鸞 歌舞罷む。 畫棟 朝に飛ぶ南浦の雲。 朱簾 暮に捲く西山の雨。 閒雲 潭影 日に悠悠。 物換り星移る、幾度の秋ぞ。 閣中の帝子 今 何くにか在る。 檻外の長江 空しく自ら流る。 |