唐詩平行語料庫研究計畫


題名: 奉和聖製早渡蒲津關
作者: 張九齡
魏武中流處,軒皇問道回。長堤春樹發,高掌曙雲開。龍負王舟渡,人占仙氣來。河津會日月,天仗役風雷。東顧重關盡,西馳萬國陪。還聞股肱郡,元首詠康哉。
英譯: 暫無英譯內容
日譯: 魏の武候がこの中流に舟を浮かべて「美なるかな、山河の固め、これ魏國の寶なり」と讃嘆したというのは、ここらあたりであろう。むかし空同山に登って廣成子に道を問われた黄帝にもたぐえつべき、わが皇帝のお歸りの行列がさしかかった。見渡せば、長くつづく堤は春たけなわに木々の花が咲いている。かなた、太華山は曙の雲が晴れて、てのひらのかたちの絶壁があらわれている。ここで渡しの舟にお乗りになると、聖王禹の舟を黄龍が背負うたとも見え、蒲津關あたりの人々は、紫の氣のたなびいているのを見て、函谷關の關尹(長官)の喜が眞人老子がこられるのを占い知ったように聖天子のおいでを知っている。黄河の渡し場に天子の旗じるしがなびいて、天の川のように輝やかしく、日月が相會するかと思われ、行列の護衞の美々ししさは風神や雷神を驅使して、さきばらいをさせながら進んでゆく。東の方をふりかえると、いくつもの關所がここで終わっている。陸路について西にはせゆくと萬國の侯伯や侍臣もことごとく隨從して、じつに盛んなものである。さらにまた昔から天子の股眩(手足)の郡と呼ばれた河東地方一帶の人民は、古代の聖帝舜と大臣皐陶が唱和したような「庶事康かなる哉」の詩さながらの、今上の御製と近臣の奉和の作をうけたまわることができるのは、まことに太平の世のめでたさである。
魏武(ぎぶ) 中流(ちゅうりう)の處(ところ)、軒皇(けんくわう) 道(みち)を問(と)うて廻(かへ)る。長堤(ちゃうてい) 春樹(しゅんじゅ)發(はなさ)き、高掌(かうしゃう) 曙雲(しょうん)開(ひら)く。龍(りょう)は王舟(わうしう)を負(お)うて度(わた)り、人(ひと)は仙氣(せんき)の來(きた)るを占(うらな)ふ。河津(かしん) 日月(じつけつ)を會(くわい)し、天仗(てんぢゃう) 風雷(ふうらい)を役(えき)す。東(ひがし)を顧(かへりみ)れば 重關(ちょうくわん)盡(つ)き、西(にし)に馳(は)すれば 萬國(ばんこく)陪(ばい)す。還(また) 聞(き)く股肱(ここう)の郡(ぐん)、元首(げんしゅ) 康哉(かうさい)を詠(えい)ずるを。
魏武 中流の處、軒皇 道を問うて廻る。長堤 春樹發き、高掌 曙雲開く。龍は王舟を負うて度り、人は仙氣の來るを占ふ。河津 日月を會し、天仗 風雷を役す。東を顧れば 重關盡き、西に馳すれば 萬國陪す。還 聞く股肱の郡、元首 康哉を詠ずるを。

國立高雄科技大學應用英語系、高瞻科技不分系/國立彰化師範大學英語系