唐詩平行語料庫研究計畫


題名: 予與微之老而無子發於言歎著在詩篇今年冬各有一子戲作二什一以相賀一以自嘲 一
作者: 白居易
常憂到老都無子,何況新生又是兒。陰德自然宜有慶,皇天可得道無知。一園水竹今爲主,百卷文章更付誰。莫慮鵷鶵無浴處,即應重入鳳皇池。
英譯: 暫無英譯內容
日譯: いて子のないのをいつも憂えていたが 今年は子が生まれてしかも男児だったとは。 陰徳があるので自然におめでたがあったので これでもっても天道は知らないなどといえない。 君の園の池水や竹にもいまや主人ができたし 百巻ある文集ももう他人にわたさなくってよくなった。 鳳児の浴する場所がないなど心配なさるな。 きっと君のあとをついで鳳凰池のよこの中書省にはいるよ。 五十八歳の老人にはじめて子ができた。 しずかに考えると喜ばしいがまたかわしくもある。 真珠が小さすぎてハマグリの親に対してはずかしいくらいだが カラスの九子なぞはうらやましいとは思わない。 秋になっておそなりの丹桂の実というべきか 春風にふかれて出て来た紫蘭の芽というべきか。 盃をもって祝い祈る語はほかでもない。 「おまえの父のように頑愚にならないでくれよ」と。
常(つね)に憂(うれ)ふ老(らう)に到(いた)ってすべて子(こ)なきを なんぞいはんや新(あらた)に生(うま)れまたこれ児(じ)なるをや。 陰德(いんとく) 自然(しぜん)によろしく慶(けい)あるべし 皇天(くわうてん) 知(し)るなしと道(い)ふを得(う)べけんや。 一園(いちえん)の水竹(すいちく)いま主(しゅ)をなす 百卷(ひゃくくわん)の文章(ぶんしょう)さらに誰(たれ)にか付(ふ)せん。 慮(おもんばか)るなかれ鵷雛(えんすう)の浴(よく)する處(ところ)なきを 即(すなわ)ちまさに重(かさ)ねて鳳凰池(ほうわうち)に入(い)るべし。 五十八(ごじふはち)翁(をう)はじめて後(おち)あり 静(しづか)に思(おも)へば喜(よろこ)ぶに堪(た)へまた嗟(なげ)くに堪(た)へたり。 一珠(いっしゅ)はなはだ小(せう)にして還(かへ)りて蚌(ばう)に慚(は)ち きうし 九子(きうし)は多(おほ)しといへども鴉(からす)を羨(うらや)まず。 秋月(しうげつ) 晚(おそ)く生(しゃう)ず丹桂(たんけい)の實(み) 春風(しゅんぷう) 新(あらた)に長(ちゃう)ず紫蘭(ちらん)の芽(め)。 盃(はい)を持(も)ち祝願(しゅくぐわん)ずるに他(た)の語(ご)なし 愼(つつし)んで頑愚(ぐわんぐ)なんぢが爺(ちち)に似(に)ることなかれ。
常に憂ふ老に到ってすべて子なきを なんぞいはんや新に生れまたこれ児なるをや。 陰德 自然によろしく慶あるべし 皇天 知るなしと道ふを得べけんや。 一園の水竹いま主をなす 百卷の文章さらに誰にか付せん。 慮るなかれ鵷雛の浴する處なきを 即ちまさに重ねて鳳凰池に入るべし。 五十八翁はじめて後あり 静に思へば喜ぶに堪へまた嗟くに堪へたり。 一珠はなはだ小にして還りて蚌に慚ち きうし 九子は多しといへども鴉を羨まず。 秋月 晚く生ず丹桂の實 春風 新に長紫蘭の芽。 盃を持ち祝願ずるに他の語なし 愼んで頑愚なんぢが爺に似ることなかれ。

國立高雄科技大學應用英語系、高瞻科技不分系/國立彰化師範大學英語系