題名: | 曲江感秋 |
作者: | 白居易 |
沙草新雨地,岸柳涼風枝。三年感秋意,幷在曲江池。早蟬已嘹唳,晚荷復離披。前秋去秋思,一一生此時。昔人三十二,秋興已云悲。我今欲四十,秋懷亦可知。歲月不虛設,此身隨日衰。闇老不自覺,直到鬢成絲。 | |
英譯: | 暫無英譯內容 |
日譯: |
元和二年の秋、わたしは三十七歳だった。
長慶二年の秋、いま五十一歳である。
その間の十四年で、六年はながされていた。
窮通栄辱は、運にまかせあなたまかせだった。
とうとう廬山の慧遠を師とし、また湘江の屈原をとぶらった。
夜は地方曲の愁しいのに耳をすませ、秋には灩澦堆のあたりの増水を見た。
近ごろ忠州の刺史をやめ、中書省の文書を作っている。
晩年の幸運なぞいうにもたらない、白髪と赤いのてりあうのみだ。 昔の意気は銷沈し、かおかたちもすっかり改まった。
ただ曲江の秋のけしきは、風も霧もむかしどおりだ。
元和(げんな)二年(にねん)の秋(あき)二、 われ年(とし)三十七(さんじふしち)。 長慶(ちゃろけい)二年(にねん)の秋(あき) われ年(とし)五十一(ごじふいち) 中間(ちゅうかん)十四年(じふよねん) 六年(ろくねん)は譴黜(けんちゅつ)に居(を)る。 窮通(きゅうつう)と榮悴(えいすい)と、 運(うん)に委(ゆだ)ね外物(ぐわいぶつ)に隨(したが)ふ。 つひに盛山(ろざん)の遠(をん)を師(し)とし、 重(かさ)ねて湘江(しゃうかろ)の屈(くつ)を弔(とぶら)ふ。 夜(よ)は竹枝(ちくし)の愁(うれ)ふるを聴(き)き、 秋(あき)は灩堆(えんたい)の没(ぼっ)するを看(み)る。 近(ちか)ごろ巴郡(はぐん)の印(いん)を辭(じ)し、 また綸聞(りんい)の筆(ふっで)を秉(と)る。 晚遇(ばんぐう)なんぞ言(い)ふに足(た)らん、 白髮(はくはつ) 朱紱(しゅふつ)に映(えい)ず。 銷沈(せうちん)す昔(むかし)の意氣(いき)、 改(あらた)まり換(か)はる舊(もと)の容質(ようしつ)。 ひとり曲江(きょくかう)の秋(あき)あり、 風烟(ふうえん) 往日(わうじつ)のごとし。 元和二年の秋二、 われ年三十七。 長慶二年の秋 われ年五十一 中間十四年 六年は譴黜に居る。 窮通と榮悴と、 運に委ね外物に隨ふ。 つひに盛山の遠を師とし、 重ねて湘江の屈を弔ふ。 夜は竹枝の愁ふるを聴き、 秋は灩堆の没するを看る。 近ごろ巴郡の印を辭し、 また綸聞の筆を秉る。 晚遇なんぞ言ふに足らん、 白髮 朱紱に映ず。 銷沈す昔の意氣、 改まり換はる舊の容質。 ひとり曲江の秋あり、 風烟 往日のごとし。 雨あがりの地面には沙草がはえ、すずしい風が岸のヤナギを吹いている。この三年間の秋のさびしさは、みな曲江の岸にあつまっている。アキセミはもう鳴き、時季をすぎたハスの花も散っている。先年の秋と去年の秋との悲しみが、みなこの時によみがえる。むかし潘岳は三十二で、秋を悲しむ詩を作った。わたしはもう四十歳になろうとしている、秋の悲しさもしれよう。歳月は名だけのものではない、このからだは日々に衰えてゆく。いつとはなしに老いるので自分ではわからず、両鬢が白くなってしまう。 沙草(ささう) 新雨(しんう)の地(ち)、岸柳(がんりう) 涼風(りゃうふう)の枝(えだ)。三年(さんねん) 秋(あき)に感(かん)ずるの意(おもひ)、あはせて曲江(きょくかう)の池(いけ)にあり。早蟬(さうせん)すでに暸唳(れうれい)、晩荷(ばんか)また離披(りひ)す。前秋(ぜんしう) 去秋(きょしう)の思(おもひ)、一一(いちいち)この時(とき)に生(しゃう)ず。昔人(せきじん)三十二(さんじふに)、秋興(しうきょう)すでにここに悲(かなし)む。われ今(いま) 四十(しじふ)ならんとす、秘懷(しうくわい)また知(し)るべし。歲月(さいげつ)むなしく設(まう)けず、この身(み) 日(ひ)に隨(したが)ひて衰(おとろ)ふ。暗(あん)に老(お)いてみづから覚(さと)らず、ただちに鬢(びん)の絲(いと)を成(な)すに到(いた)る。 沙草 新雨の地、岸柳 涼風の枝。三年 秋に感ずるの意、あはせて曲江の池にあり。早蟬すでに暸唳、晩荷また離披す。前秋 去秋の思、一一この時に生ず。昔人三十二、秋興すでにここに悲む。われ今 四十ならんとす、秘懷また知るべし。歲月むなしく設けず、この身 日に隨ひて衰ふ。暗に老いてみづから覚らず、ただちに鬢の絲を成すに到る。 |