唐詩平行語料庫研究計畫


題名: 渭上偶釣
作者: 白居易
渭水如鏡色,中有鯉與魴。偶持一竿竹,懸釣在其傍。微風吹釣絲,嫋嫋十尺長。誰知對魚坐,心在無何鄉。昔有白頭人,亦釣此渭陽。釣人不釣魚,七十得文王。況我垂釣意,人魚又兼忘。無機兩不得,但弄秋水光。興盡釣亦罷,歸來飲我觴。
英譯: In waters still as a burnished mirror's face, In the depths of Wei, carp and grayling swim. Idly I come with my bamboo fishing-rod And hang my hook by the banks of Wei stream. A gentle wind blows on my fishing-gear Softly shaking my ten feet of line. Though my body sits waiting for fish to come, My heart has wandered to the Land of Nothingness. Long ago a white-headed man Also fished at the same river's side; A hooker of men, not a hooker of fish, At seventy years, he caught Wen Wang But I, when I come to cast my hook in the stream, Have no thought either of fish or men. Lacking the skill to capture either prey, I can only bask in the autumn water's light. When I tire of this, my fishing also stops; I go to my home and drink my cup of wine.
日譯: 渭水は鏡のように清らかで、なかに鯉とオンキウオとがいる。わたしはふと一本の竹さおをもって、その岸へ釣りに行った。そよ風が釣り糸を吹き、十尺の長い糸がひらひらとなびく。このように魚に向かって坐っているが、じつは無何有の郷に遊んでいるのだ。むかしシラガ頭の人がいて、同じくこの潤水の北岸で釣りをした。かれは魚を釣らず人間を釣るのが目的で、七十歳のとき周の文王を釣った。わたしときたら釣りの目的には、人間も魚も両方ともないのだ。たくらみがないのでどっちも手に入らず、ただ秋の水だけながめている。 興がつきると釣りもおわりとなり、わたしは帰って酒を飲んだ。
渭水(えすえ) 鏡色(きゃうしょく)のごとく、中(なか)に鯉(り)と魴(はう)とあり。たまたま一竿(いっかん)の竹(たけ)を持(ぢ)し、釣(てう)を懸(か)けてその傍(かたはら)に至(いた)る。微風(びふう) 鈞絲(てうし)を吹(ふ)き、嫋嫋(でうでう)として十尺(じつせき)長(なか)し。誰(たれ)か知(し)らん魚(うを)に對(たい)して坐(ざ)するも、心(こころ)の無何(むか)の郷(きゃう)にあるを。昔(むかし) 白頭(はくとう)の人(ひと)あり、またこの渭陽(えやう)に釣(つ)る。人(ひと)を釣(つ)りて魚(うを)を釣(つ)らず、七十(しちじふ)にして文王(ぶんわう)を得(え)たり。いはんやわが釘(てう)を垂(た)るるの意(い)、人魚(じんぎょ)またかねて亡(な)きをや。機(き)なければ兩(ふたつ)ながら得(え)ず、ただ秋水(しうすい)の光(ひかり)を弄(ろう)す。興盡(きょうつ)きて釣(つ)もまた罷(や)み、歸(かへ)り來(きた)ってわが觴(さかづき)を飲(の)む。
渭水 鏡色のごとく、中に鯉と魴とあり。たまたま一竿の竹を持し、釣を懸けてその傍に至る。微風 鈞絲を吹き、嫋嫋として十尺長し。誰か知らん魚に對して坐するも、心の無何の郷にあるを。昔 白頭の人あり、またこの渭陽に釣る。人を釣りて魚を釣らず、七十にして文王を得たり。いはんやわが釘を垂るるの意、人魚またかねて亡きをや。機なければ兩ながら得ず、ただ秋水の光を弄す。興盡きて釣もまた罷み、歸り來ってわが觴を飲む。

國立高雄科技大學應用英語系、高瞻科技不分系/國立彰化師範大學英語系