唐詩平行語料庫研究計畫


題名: 雜曲歌辭 遊子吟
作者: 孟郊
慈母手中線,遊子身上衣。臨行密密縫,意恐遲遲歸。誰言寸草心,報得三春暉。
英譯: THE thread in the hand of the loving mother Is woven into the roving son's garments. Before he leaves, she makes her stitches double, Fearing he will be long in returning. However deep his gratitude, how can he ever Repay a debt that will bind him always?
The thread in the hand of a kind mother Is the coat on the wanderer's back. Before he left she stitched it close In secret fear that he would be slow to return. Who will say that the inch of grass in his heart Is gratitude enough for all the sunshine of spring?
Through a kind mother's hands passed the thread That made the clothes I journeying wear. Tightly tightly she wove them then, Dreading year after year of no return. Can the young grass ever repay The spring sun's kindly rays?
日譯: 慈愛(じあい)深(ふか)い母(はは)が手(て)にする糸(いと)すじ、それは旅立(たびだ)つ子(こ)の着(き)る衣服(いふく)を、出発(しゅっぱつ)にあたって、心(こころ)をこめて、縫(ぬ)い目(め)もこまやかに縫(ぬ)うのだが、その母(はは)が心(こころ)の中(なか)で心配(しんぱい)するのは、子(こ)の帰(かえ)りが遅(おそ)くのびのびになるのではないかということ。 いったいだれが言(い)うことができようか。わずかに伸(の)びた野(の)の草(くさ)のような子(こ)の心(こころ)が、春(はる)三ヶ月(さんかげつ)の陽光(ようこう)のような母(はは)の慈愛(じあい)に十分(じゅうぶん)に報(むく)いることができようなどと。母(はは)の慈愛(じあい)の大(おお)きさには、とうてい及(およ)ぶことはないのだ。
慈愛深い母が手にする糸すじ、それは旅立つ子の着る衣服を、出発にあたって、心をこめて、縫い目もこまやかに縫うのだが、その母が心の中で心配するのは、子の帰りが遅くのびのびになるのではないかということ。 いったいだれが言うことができようか。わずかに伸びた野の草のような子の心が、春三箇月の陽光のような母の慈愛に十分に報いることができようなどと。母の慈愛の大きさには、とうてい及ぷことはないのだ。
慈母(じぼ) 手中(しゅちゅう)の線(いと)、遊子(ゆうし) 身上(しんじょう)の衣(ころも) 行(こう)に臨(のぞ)みて 密密(みつみつ)に縫(ぬ)う、意(い)に恐(おそ)る 遅遅(ちち)として帰(かえ)らんことを 誰(たれ)か言(い)う 寸草(すんそう)の心(こころ)、三春(さんしゅん)の暉(き)に報(むく)い得(え)んと
慈母 手中の線、遊子 身上の衣 行に臨みて 密密に縫う、意に恐る 遅遅として帰らんことを 誰か言う 寸草の心、三春の暉に報い得んと
母が手でぬう針糸は 旅に出てゆく子のきもの 一針一針ぬいながら 帰りがおそくならぬかと 胸をいためる母ごころ 草一寸の心もて はかり知られぬ春の日の めぐみに報いられようか
慈母(じぼ) 手中の線(いと) 遊子(ゆうし) 身上(しんじょう)の衣(ころも) 行(こう)に臨んで密密(みつみつ)に縫う 意(い)は恐(おそ)る遅遅(ちち)として帰らんことを 誰か言う 寸草(すんそう)の心 三春(しゅん)の暉(ひかり)に報じ得んと
慈母 手中の線 遊子 身上の衣 行に臨んで密密に縫う 意は恐る遅遅として帰らんことを 誰か言う 寸草の心 三春の暉に報じ得んと

國立高雄科技大學應用英語系、高瞻科技不分系/國立彰化師範大學英語系