題名: | 江陵望幸 |
作者: | 杜甫 |
雄都元壯麗,望幸歘威神。地利西通蜀,天文北照秦。風煙含越鳥,舟楫控吳人。未枉周王駕,終期漢武巡。甲兵分聖旨,居守付宗臣。早發雲臺杖,恩波起涸鱗。 | |
英譯: | 暫無英譯內容 |
日譯: |
春秋戦國時代の大國の首府郢都の地、漢以來識州と呼ばれ、現在の南都すなわち江陵は、とくに雄大壯麗な都會であるが 、天子が行幸されると聞くと、急に尊嚴さを増したような氣がする。東西交通の要衝にあたり地の利を得たところで、西は長江をさかのぼって蜀(四川省)にも直通しているし、天の星宿の分野は北のかた首都長安につらなって同じ光が輝いている。風土氣象は越の國のそれに似かよっているそうで、越の土地産の鳥の聲も聞こえる。長江の北岸にある良港なので、吳の人も舟に乘って來往している。ここにはまだ天子の駕をまげられたことは一度もない。しかしなんとしても一度御巡幸が望ましいものである。(周の穆王は天下を漫遊されたので有名だが、まだここに立ち寄られたことは記録にない。漢の武帝は汾陰、洛陽、泰山などに旅行され、南巡されたときは盛唐にまでこられたという。盛唐とは古い地名で、秦の南郡、すなわち荊州にあったといわれ、今の江陵にあたっている。周の穆王のほうでなく、漢の武帝のほうが願わしい。) ここは天子の御心を體して武装した兵士が警備にあたっており、武勳赫々たる朝廷の重臣、特進河東郡公(正二品)の衛伯玉というお方を荊南節度使に親任され、爵をすすめて城陽郡王(從一品)に報じたまい、もっぱら南都の守備統治にあたらしめられることになった。この上は一刻も早く天子おんみずから近衛の軍隊を犠材として南郡に下りたまい、おん恵みの波が、ひからびた魚のようになっている、われわれ人民をうるおし救いたまうことが何よりも待ちどおしいことである。
雄都(ゆうと) 尤(もつと)も壯麗(さうれい)。幸(かう)を望(のぞ)めば歘(たちま)ち威神(えしん)。地利(ちり) 西(にし)のかた蜀(しょく)に通(つう)じ、天文(てんもん) 北(きた)のかた奏(しん)を照(て)らす。風煙(ふうえん) 越鳥(えつてう)を含(ふく)み、舟楫(しうしふ) 吳人(ごじん)を控(ひか)ふ。未(ま)だ周王(しうわう)の駕(が)を枉(ま)げず。終(つひ)に漢武(かんぶ)の巡(じゅん)を期(き)す。甲兵(かふへい) 聖旨(せいし)を分(わか)ち、居守(きょしゅ) 宗臣(そうしん)に付(ふ)す。早(はや)く雲臺(うんだい)の仗(ぢゃう)を發(はつ)して 恩波(おんば) 涸鱗(こりん)を起(おこ)さんことを。 雄都 尤も壯麗。幸を望めば歘ち威神。地利 西のかた蜀に通じ、天文 北のかた奏を照らす。風煙 越鳥を含み、舟楫 吳人を控ふ。未だ周王の駕を枉げず。終に漢武の巡を期す。甲兵 聖旨を分ち、居守 宗臣に付す。早く雲臺の仗を發して 恩波 涸鱗を起さんことを。 |