題名: | 詠懷古跡五首 二 |
作者: | 杜甫 |
搖落深知宋玉悲,風流儒雅亦吾師。悵望千秋一灑淚,蕭條異代不同時。江山故宅空文藻,雲雨荒臺豈夢思。最是楚宮俱泯滅,舟人指點到今疑。 | |
英譯: | 暫無英譯內容 |
日譯: |
落葉(らくよう)の秋(あき)に出(で)あって、宋玉(そうぎょく)が味(あじ)わった悲(かな)しみをわたしも今(いま)深(ふか)く理解(りかい)することができた。それに加(くわ)えて宋玉(そうぎょく)こそ風流儒雅(ふうりゅうじが)の精神(せいしん)・教養(きょうよう)を備(そな)えているという点(てん)で、また、わたしの師(し)と仰(あお)ぐ人(ひと)である。千年(せんね)の昔(むかし)を悲(かな)しく思(おも)いやって、ひたすらに涙(なみだ)を流(なが)し、ものさびしく思(おも)うのは、その宋玉(そうぎょく)と世(よ)を隔(へだ)ててしまって、時代(じだい)を同(おな)じくすることのできないことだ。
川(かわ)や山(やま)の間(あいだ)には、宋玉(そうぎょく)の住(す)んだ家(いえ)のあとがあるだけで、ただ詩文(しぶん)のみが今(いま)の世(よ)に残(のこ)されているばかり。宋玉(そうぎょく)がかつてうたった荒(あ)れはてた巫山雲雨(ふざんうんう)の陽台(ようだい)も、どうして単(たん)なる夢物語(ゆめものがたり)であろうか現実(げんじつ)のことのように思(おも)われてならない。
しかし何(なに)よりもとりわけて心(こころ)を悲(かな)しませるのは、楚王(そおう)の宮殿(きゅうでん)が、宋玉(そうぎょく)の故宅(こたく)や雲雨台(うんうだい)とともに、ほろびて消(き)えてしまい、今(いま)になって船頭(せんとう)が、あのあたりと指(さ)していることである。
落葉の秋に出あって、宋玉が味わった悲しみをわたしも今深く理解することができた。それに加えて宋玉こそ風流儒雅の精神・教養を備えているという点で、また、わたしの師と仰ぐ人である。千年の昔を悲しく思いやって、ひたすらに涙を流し、ものさびしく思うのは、その宋玉と世を隔ててしまって、時代を同じくすることのできないことだ。 川や山の間には、宋玉の住んだ家のあとがあるだけで、ただ詩文のみが今の世に残されているばかり。宋玉がかつてうたった荒れはてた巫山雲雨の陽台も、どうして単なる夢物語であろうか現実のことのように思われてならない。 しかし何よりもとりわけて心を悲しませるのは、楚王の宮殿が、宋玉の故宅や雲雨台とともに、ほろびて消えてしまい、今になって船頭が、あのあたりと指さしていることである。 揺落(ようらく) 深(ふか)く知(し)る宋玉(そうぎょく)の悲(かな)しみ 風流儒雅(ふうりゅうじが) 亦(ま)た吾(わ)が師(し) 千秋(せんしゅう)を悵望(ちょうぼう)して 一(いっ)に淚(なみだ)を灑(そそ)ぎ 蕭条(しょうじょう)たり 代(よ)を異(こと)にして時(とき)を同(おな)じくせず 江山(こうざん)の故宅(こたく) 空(むな)しく文藻(ぶんそう)のみ 雲雨(うんう)の荒台(こうだい) 豈(あ)に夢思(むし)ならんや 最(もっと)も是(こ)れ楚宮(そきゅう) 俱(とも)に泯滅(びんめつ)し 舟人(しゅうじん)指点(してん)して今(いま)に到(いた)りて疑(うたが)う 揺落深く知る宋玉の悲しみ 風流儒雅 亦た吾が師 千秋を悵望して 一に淚を灑ぎ 蕭条たり 代を異にして時を同じくせず 江山の故宅 豈に夢思ならんや 最も是れ楚宮 俱に泯滅し 舟人指点して今に到りて疑う 樹々の葉落ちる秋になり 宋玉の悲しみが身に沁みる その風流儒雅こそ亦吾が師 千年の昔を偲び涙をそそぐ さびしさはこの人と同じ時世に生きぬこと 江山は残っても故宅はほろび ただその文章が今に伝わる 「朝に雲となり夕べに雨となり 朝々暮々陽台の下」 それはまことに夢だったのか あわれ楚王の宮殿も皆亡び 今なお舟人の指さして どこがその跡かと疑うばかり 揺落(ようらく) 深く知る宋玉(そうぎょく)の悲(かな)しみ 風流儒雅(ふうりゅうじが) 亦(また)吾(わ)が師 千秋(せんしゅう)を悵望(ちょうぼう)して一(ひと)たび淚を灑(そそ)ぎ 蕭条(しょうじょう)たり 代(よ)を異(こと)にして時を同(おな)じゅうせず 江山(こうざん)故宅(こたく) 空(むな)しく文藻(ぶんそう)あり 雲雨(うんう)荒台(こうだい) 豈(あに)夢思(むし)ならんや 最(もっと)も是(こ)れ楚宮(そきゅう)俱(とも)に泯滅(びんめつ)し 舟人(しゅうじん)指点(してん)して今に到るまで疑う 揺落 深く知る宋玉の悲しみ 風流儒雅 亦吾が師 千秋を悵望して一たび淚を灑ぎ 蕭条たり 代を異にして時を同じゅうせず 江山故宅 空しく文藻あり 雲雨荒台 豈夢思ならんや 最も是れ楚宮俱に泯滅し 舟人指点して今に到るまで疑う |