唐詩平行語料庫研究計畫


題名: 奉觀嚴鄭公廳事岷山沱江畫圖十韻
作者: 杜甫
沱水流中座,岷山到此堂。白波吹粉壁,青嶂插雕梁。直訝杉松冷,兼疑菱荇香。雪雲虛點綴,沙草得微茫。嶺鴈隨毫末,川蜺飲練光。霏紅洲蘂亂,拂黛石蘿長。暗谷非關雨,丹楓不爲霜。秋成玄圃外,景物洞庭旁。繪事功殊絕,幽襟興激昂。從來謝太傅,丘壑道難忘。
英譯: 暫無英譯內容
日譯: 沱水の流れが座席のなかに流れ、岷山は北の堂へつづいてそびえている。白い波が白壁に吹きつけるようで、青い高峯が彫刻した梁に届くように見える。おやと、杉や松の林の冷氣がせまるかといぶかしく思われ、また菱やあさざの香がただうてくるのではないかと疑われる。雪雲がきれぎれにつづいて浮かんでいるのも、よく見れば、もちろんえがいたもの。川邊の砂地にはまた草は遠くへかすんで、さながらにはてしない思いをさそう。嶺の上を越えて飛ぶ雁は、こまかい筆のさきで、小さい羽毛が精密に生かされ、川にかかった虹は、さながら白絹のような澄んだ水の光を飲んでいるように思われる。紅の點をちらしたのは中洲の花が咲きみだれたのだ。黒い顔料をすうとひいたのは、石にまつわる蔦かずらの長いつるだ。谷がほのぐらくなっているのも雨が降っているわけではない。欄が紅葉しているのも霜のせいではない。(みんな微妙な筆のタッチなのだ。)かなたには秋づいた町の城郭が見えるが、この世のものとは見えず、神仙のすむ玄圃のそれではないかと思われる。風景は大きい洞庭湖がここにあらわれ出ているようにも思われる。じつにこの畫筆の妙はすばらしいもので、自然にひきこまし、ものしずかな奥深い情操が無限に湧き出てくるおもいである。むかし、晋の謝安石は、四十歳ごろまでは臨安の山中に放浪して、心ゆくまで山水をたのしまれたが、後に天子を輔佐する宰相の重職に任じ、中國の安危を一身に負われたときになっても、山水に思いをはせられることは一生かわらなかったという。嚴鄭公も成都で劍南節度使という重大で煩忙な要職にありながら、このような自然そのものをもってきたような、山水の畫を廳舎の壁にかけて眺められるということは、 まことにおくゆかしいかぎりである。
沱江(たすえ) 中座(ちゅうざ)に臨(のぞ)み、岷山(みんざん) 北堂(ほうだう)に赴(おもむ)く。白波(はくは) 粉壁(ふんべき)を吹(ふ)き、青嶂(せいしゃう) 雕梁(てうりゃう)に挿(さしはさ)む。直(ただ)ちに訝(いぶか)る、杉松(さんしょう)の冷(ひやや)かなるかと。兼(か)ねて疑(うたが)ふ、菱荇(りょうかう)の香(かう)。雪雲(せつうん) 虚(むな)しく點綴(てんてい)し、沙草(ささう) 微茫(びばう)を得(え)たり。嶺熱(れいがん) 毫末(がうまつ)に隨(したが)ひ、川霓(せんげい) 練光(れんくわう)を飲(の)む。紅(くれない)を霏(ふ)らして洲蕊(しうずい)亂(みだ)れ、黛(たい)を拂(はら)って石蘿(せきら)長(なが)し。暗谷(あんこく)も雨(あめ)に關(かかは)るに非(あら)ず。丹楓(たんふう)も霜(しも)の為(ため)ならず。秋城(しうじゃう) 玄圃(げんぼ)の外(ほか)。景物(けいぶつ) 洞庭(どうてい)の傍(かたはら)。繪事(くわいじ) 功(こう)は殊絶(しゅぜつ)なり。幽襟(いうきん) 興(きょう)は激昂(げきかう)す。從來(じゅうらい) 謝太傅(しゃたいふ)、丘壑(きうがく)道(みち)忘(わす)れ難(がた)し。
沱江 中座に臨み、岷山 北堂に赴く。白波 粉壁を吹き、青嶂 雕梁に挿む。直ちに訝る、杉松の冷かなるかと。兼ねて疑ふ、菱荇の香。雪雲 虚しく點綴し、沙草 微茫を得たり。嶺熱 毫末に隨ひ、川霓 練光を飲む。紅を霏らして洲蕊亂れ、黛を拂って石蘿長し。暗谷も雨に關るに非ず。丹楓も霜の為ならず。秋城 玄圃の外。景物 洞庭の傍。繪事 功は殊絶なり。幽襟 興は激昂す。從來 謝太傅、丘壑道忘れ難し。

國立高雄科技大學應用英語系、高瞻科技不分系/國立彰化師範大學英語系