題名: | 題玄武禪師屋壁 |
作者: | 杜甫 |
何年顧虎頭,滿壁畫瀛州。赤日石林氣,青天江海流。錫飛常近鶴,桮度不驚鷗。似得廬山路,真隨惠遠遊。 | |
英譯: | 暫無英譯內容 |
日譯: |
何(いづ)れの年(とし)か顧虎頭(こことう)、
滿壁(まんべき) 滄洲(さうしう)を畫(ゑが)く。
赤日(せきじつ) 石林(せきりん)の氣(き)。
青天(せいてん) 江海(かうかい)の流(なが)れ。
錫飛(しゃくと)んで常(つね)に鶴(つる)に近(ちか)く、
杯渡(はいわた)って鷗(かもめ)を驚(おどろ)かさず。
廬山(ろざん)の路(みち)を得(え)て、
眞(しん)に恵遠(ゑをん)に隨(したが)って遊(あそ)ぶに似(に)たり。
何れの年か顧虎頭、 滿壁 滄洲を畫く。 赤日 石林の氣。 青天 江海の流れ。 錫飛んで常に鶴に近く、 杯渡って鷗を驚かさず。 廬山の路を得て、 眞に恵遠に隨って遊ぶに似たり。 いつ、顧愷之がこの璧いっぱいに滄州の景色をえがいたのだろう。赤い日のさす石の林には瑞氣(めでたい雰囲気)がたちこめ、青空達遠く大川が流れ海がたたえている。鶴が飛び、鷗が遊んでいるところが見えるが、高僧は錫杖を飛ばして、この鶴とつれだって行かれることであろう。これらの大川や海を杯を浮かべて渡られるときには、 胸中に機心というものがないから、鷗の群れも無心に集まってきて遊ぶことであろう。 この繪をじっと眺めていると、廬山の奥深く路をわけ入って、ほんとうにあの高僧惠遠隨って遊ぶよりな清らかな、脱俗した気分になってしまう。 |