唐詩平行語料庫研究計畫


題名: 至德二載甫自京金光門出問道歸鳳翔乾元初從左拾遺移華州掾與親故別因出此門有悲往事
作者: 杜甫
此道昔歸順,西郊胡正繁。至今殘破膽,應有未招魂。近得歸京邑,移官豈至尊。無才日衰老,駐馬望千門。
英譯: 暫無英譯內容
日譯: この道(みち)は、以前(いぜん)の至徳二年(しとくにねん)にわたしが鳳翔(ほうしょう)の天子(てんし)のもとにはせ参(ま)じた道(みち)である。長安(ちょうあん)の西(にし)の郊外(こうがい)にあたるこの地(ち)には、まさしく、異国(いこく)の安禄山(あんろくざん)の軍(ぐん)が満(み)ちていた。現在(げんざい)になってもその時(とき)のことを思(おも)えば、きもがつぶれる思(おも)いに、心(こころ)はふるえおののく。あの時(とき)の恐怖(きょうふ)のために身(み)から離(はな)れてしまったまま、まだよびもどされていない魂(たましい)があるにちがいない。 左拾遺(さしゅうい)となって天子(てんし)のおそば近(近づ)く仕(つか)え、都(みやこ)に戻(もど)って来(き)たのだが、今(いま)は華州の属官(ぞっかん)として左遷(させん)されることになった。このことはどうして天子(てんし)御自身(ごじしん)のお心(こころ)からであろうか。いや、決(けっ)してそうではない。今(いま)のわたしは才能(さいのう)もなくて、日(ひ)ごとにおとろえ老(お)いてゆくばかりの身(み)である。この金光門に馬(うま)をとどめて王宮(おうきゅう)のあたりを遠(とお)く眺(なが)めやるほかはないのだ。
この道は、以前の至徳二年にわたしが鳳翔の天子のもとにはせ参じた道である。長安の西の郊外にあたるこの地には、まさしく、異国の安禄山の軍が満ちていた。現在になってもその時のことを思えば、きもがつぶれる思いに、心はふるえおののく。あの時の恐怖のために身から離れてしまったまま、まだよびもどされていない魂があるにちがいない。 左拾遺となって天子のおそば近く仕え、都に戻って来たのだが、今は華州の属官として左遷されることになった。このことはどうして天子御自身のお心からであろうか。いや、決してそうではない。今のわたしは才能もなくて、日ごとにおとろえ老いてゆくばかりの身である。この金光門に馬をとどめて王宮のあたりを遠く眺めやるほかはないのだ。
此(こ)の道(みち) 昔(むかし)帰順(きじゅん)す、西郊胡(せいこうこ)正(まさ)に繁(しげ)かりき 今(いま)に至(いた)るまで猶(な)お胆(きも)を破(やぶ)る、応(まさ)に未(いま)だ招(まぬ)かれざる魂(たましい)有(あ)るべし 近侍(きんじ)して京邑(けいゆう)に帰(かえ)りしに、官(かん)を移(うつす)は 豈(あ)に至尊(しそん)ならんや 才無(さいな)くして日々(ひび)に衰老(すいろう)す、馬(うま)を駐(とど)めて 千門(せんもん)を望(のぞ)む
此の道 昔帰順す、西郊胡正に繁かりき 今に至るまで猶お胆を破る、応に未だ招かれざる魂有るべし 近侍して京邑に帰りしに、官を移は 豈に至尊ならんや 才無くして日々に衰老す、馬を駐めて 千門を望む

國立高雄科技大學應用英語系、高瞻科技不分系/國立彰化師範大學英語系