題名: | 貧交行 |
作者: | 杜甫 |
飜手作雲覆手雨,紛紛輕薄何須數。不見管鮑貧時交,此道今人棄如土。 | |
英譯: |
One turn of the hand, it might be either rain or storm. Such fickleness
in countless instances everywhere! Do you not see that the permanent
loyalty so beautiful in classical friendship Is now trampled as dirt under
foot?
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日譯: |
手(て)を翻(ひるがへ)ぜば雲(くも)と作(な)り、手(て)を覆(くつがへ)ぜば雨(あめ)。
紛紛(ふんふん)たる軽薄(けいはく) 何(なん)ぞ數(かぞ)ふるを須(もち)いん。
君見(きみみ)ずや管鮑(くわんはう)貧時(ひんじ)の交(まじは)り。
此(こ)の道(みち) 今人(こんじん)棄(す)てて土(つち)の如(ごと)し。
手を翻ぜば雲と作り、手を覆ぜば雨。 紛紛たる軽薄 何ぞ數ふるを須いん。 君見ずや管鮑貧時の交り。 此の道 今人棄てて土の如し。 世間の人情のあてにならないことは、ちょっと手のひらを上に向けると雲となり、 ちょっと手のひらを下に向けると雨になるように、たちまちかわってゆくので、すこしも頼みにならない。こういううすっぺらな輩は、わんさと存在しているから、いちいち数える必要もない。まあ見たまえ、昔、管仲と鮑叔の二人が貧乏していた時分の 交際ぶりを。あれがほんとうのつきあいというものだ。それがどうだ。當世の人間どもは、ああいうつきあいの道を土か芥のように棄ててしまっている。なんとかなしいことではないか。 手のひらを上に向ければ雲となり、$たちまち$手のひらを下に向ければ雨となる。そこらにうようよしている$こうした利害にさとく誠実さに欠ける$軽薄な連中を、どうしていちいち数える必要があろうか。見たまえ、管仲と飽叔牙との貧乏なときの交際を。しかしこの$理想とすべき友情の$道を、当今の人々は、$何の価値もない$土くれ同然に捨てて願みないのだ。 手(て)を翻(ひるがへ)ぜば雲(くも)と作(な)り 手(て)を覆(くつがへ)ぜば雨(あめ) 紛紛(ふんふん)たる軽薄(けいはく) 何(なん)ぞ數(かぞ)ふるを須(もち)ひん 君見(きみみ)ずや 管鮑(くわんばう) 貧時(ひんじ)の交(まじ)はりを 此(こ)の道(みち) 今人(きんじん) 棄(す)つること土(つち)の如(ごと)し 手を翻ぜば雲と作り 手を覆ぜば雨 紛紛たる軽薄 何ぞ數ふるを須ひん 君見ずや 管鮑 貧時の交はりを 此の道 今人 棄つること土の如し 手のひらを上に向ければ雲となり、下に向ければ雨となる。 このようにくるくると変わる軽薄さは、数えたてて問題にするまでもない。 諸君、見たまえ。管仲と鮑叔との貧しいときの交わりを。 この交わりの道を今の人は泥のように捨ててしまっている。 手(て)を翻(ひるがへ)ぜば雲(くも)と作(な)り 手(て)を覆(くつがへ)ぜば雨(あめ)となる 紛紛(ふんふん)たる軽薄(けいはく) 何(なん)ぞ數(かぞ)うるを須(もち)いん 君見(きみみ)ずや 管鮑(かんぽう)貧時(ひんじ)の交(まじ)わりを 此(こ)の道(みち) 今人(きんじん)棄(す)てて土(つち)の如(ごと)し 手を翻ぜば雲と作り 手を覆ぜば雨となる 紛紛たる軽薄 何ぞ數うるを須いん 君見ずや 管鮑貧時の交わりを 此の道 今人棄てて土の如し 手の平を上に向ければ雲となり下に向ければ雨となるように、人の心もくるくる変わる。軽薄な人間はそのへんにごろごろしていて、いちいち数えあげるまでもない。 見たまえ、管触と鮑桃の貧しいときの交わりを。今の人間は、あの交わりを土くれのように捨ててしまった。 手(て)を翻(ひるがえ)ぜば雲(くも)と作(な)り手(て)を覆(おお)えば雨(あめ)となる、 紛紛(ふんふん)たる軽薄(けいはく) 何(なん)ぞ數(かぞ)うるを須(もち)いん。 君見(きみみ)ずや 管鮑(かんぼう)貧時(ひんじ)の交(まじ)わり、 此(こ)の道(みち) 今人(きんじん)棄(す)てて土(つち)の如(ごと)し。 手を翻ぜば雲と作り手を覆えば雨となる、 紛紛たる軽薄 何ぞ數うるを須いん。 君見ずや 管鮑貧時の交わり、 此の道 今人棄てて土の如し。 |